「2035年には、不死が何らかの形で実現するかもしれない」
そんな話を、どこかで耳にした。 論文だったのか、研究者のインタビューだったのか、あるいはただの噂話だったのかは、正直もう覚えていない。
けれど、その言葉だけが、妙に頭に残った。
不死という言葉が、現実味を帯び始めた時代
少し前まで、不死という言葉は完全に空想のものだった。 神話か、SFか、漫画やゲームの中の設定。
ところが近年、
- 老化は「治療できるプロセスかもしれない」という研究
- AIによる意識の再現・模倣
- 脳や記憶をデータとして扱う技術
こうした話題が、珍しくなくなってきた。
「永遠に生きる」という表現は誇張でも、 死に近づくスピードを極端に遅らせることなら、 現実的な目標になりつつあるようにも見える。
2035年に不死が実現しても、私は生きているだろうか
仮に、2035年に何らかの形で“不死”が実現したとして。
その技術を、
- 誰でも使えるのか
- 一部の富裕層だけなのか
- 実験段階で終わるのか
それは分からない。
そして何より、 その時まで自分が生きている保証もない。
だからこそ、思った。
「未来に賭けるより、今を残しておこう」と。
肉体は死ぬが、記録は残る
不死という言葉を、文字通りに受け取る必要はない。
肉体は必ず衰え、いつか終わる。 それは、たぶん変わらない。
けれど、
- 書かれた言葉
- 記録された思考
- その瞬間の感情
それらは、本人が死んだあとも残る。
誰かに読まれなくてもいい。 検索に引っかからなくてもいい。
ただ、消えずに存在し続ける。
それは、ある意味で「不死」に近い。
なぜサイトという形を選んだのか
ノートでも、日記でも、SNSでもよかった。
それでも、あえてサイトを立ち上げたのは、 時間に埋もれにくい形で残したかったからだ。
SNSは流れていく。 アルゴリズムが変われば、簡単に消える。
けれど、 自分で管理する場所に書いた文章は、 意図しない限り消えない。
誰にも邪魔されず、 誰にも急かされず、 静かに積み重なっていく。
ここに書くのは、特別なことじゃない
このサイトに書くのは、 偉大な思想でも、完成された理論でもない。
- その日に考えたこと
- ふと浮かんだ疑問
- 取るに足らない感情
- 何気ない食事や行動の記憶
そういうものだ。
けれど、 未来から見れば、それこそが一番リアルな資料かもしれない。
2035年に、誰かがこれを読むかもしれない
もし2035年が来て、 不死が本当に実現していたら。
あるいは、 「そんな話もあったね」と笑われる程度で終わっていたら。
どちらでもいい。
その時代の誰かが、 「当時、こんなことを考えていた人間がいた」と 知ることができるなら。
それで十分だ。
不死を記録する
このサイトは、 未来を予言する場所ではない。
不死を証明する場所でもない。
ただ、 不死という言葉が現実味を帯び始めた時代に、 一人の人間が何を考え、どう生きていたかを記録する場所だ。
肉体は終わる。
けれど、記録は残る。
それを信じて、 ここに書き続けていく。
※ 本記事は、個人の思考・記録を目的としたものであり、 科学的・医学的な主張や予測を断定するものではありません。

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