2026年4月。
夕方だった。私はいつものようにパソコンを開き、AIや世界のニュース、技術系の記事をぼんやり見ていた。
その時、スマホが鳴った。
画面を見ると、妹からだった。
普段はそこまで頻繁に連絡を取るわけではない。
だから少し不思議に思いながら電話を取った。
「もしもし?」
妹の声は、どこか興奮していた。
「ねえ、脳の不死、実現するらしいよ」
最初、意味が分からなかった。
私は聞き返した。
「脳の不死?」
すると妹は続けた。
「人間の脳をデータ化して、意識を残す研究がかなり進んでるって。もう未来の話じゃないみたい」
私は一瞬黙った。
AI、脳科学、量子コンピュータ、ニューラルリンク、デジタル人格――。
ここ数年、そういう話題は何度も見てきた。
しかし、妹の口から突然「不死」という言葉が出てくるとは思わなかった。
その瞬間、不思議な感覚になった。
人類が数千年追い求めてきたもの。
王も、皇帝も、科学者も、宗教家も求めたもの。
「死を超えること」
それが、急に現実味を帯びて迫ってきた気がした。
私は椅子にもたれながら、天井を見上げた。
もし本当に脳を保存できるなら。
もし記憶や人格をデータとして残せるなら。
もし“自分”をコピーできるなら。
それは本当に「自分」なのか。
あるいは、ただの複製なのか。
電話をしながら、私はそんなことを考えていた。
妹は続けた。
「今のAIの進化、すごいじゃん。10年前じゃ考えられなかったよね」
確かにそうだった。
画像生成AI。
会話AI。
動画AI。
ロボット。
自動運転。
脳波解析。
2020年代前半には「まだ先」と言われていたものが、次々と現実になっていた。
だからこそ、「不死」という言葉も完全な空想ではなくなっていた。
私は少し笑いながら言った。
「じゃあ、そのうち俺もデータになるのか」
妹も笑った。
「ありえるんじゃない?」
しかし電話を切ったあと、私は急に静かになった。
部屋にはパソコンのファンの音だけが響いていた。
私は考えた。
もし人間が不死になったら、人生はどう変わるのか。
今まで人類は「限りがある」から頑張ってきた。
時間が有限だから恋をした。
有限だから夢を追った。
有限だから焦った。
だが、永遠に生きられるなら。
努力の意味は変わるのか。
愛の意味は変わるのか。
孤独は消えるのか。
それとも逆に、永遠の孤独が始まるのか。
私はさらに考えた。
もし脳を保存できる時代が来たとして、金持ちだけが不死になる世界になるのか。
巨大企業が人格データを管理する時代になるのか。
AIと人間の境界線が消えるのか。
人類はどこへ向かうのか。
その時、ふと思った。
もしかすると、人間はずっと「神」になろうとしているのかもしれない。
火を使い、電気を使い、空を飛び、宇宙へ行き、AIを作り、そして最後には死を超えようとしている。
それは進化なのか。
それとも危険なのか。
正直、私には分からない。
だが2026年4月、妹からの一本の電話は、確実に私の中に何かを残した。
「不死」という言葉が、単なるSFではなくなった日。
そして私は思った。
これからの時代、
重要なのは「どれだけ長く生きるか」ではなく、
「何を残すか」なのかもしれない、と。
AIでも、文章でも、記録でも、思想でもいい。
人間は昔から、何かを残そうとしてきた。
名前。
物語。
技術。
愛情。
記憶。
もしかすると、それ自体がすでに“別の形の不死”なのかもしれない。
2026年4月。
妹から「脳の不死が実現する」と電話が来た日。
私はその日を、たぶんずっと忘れない。

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